【神コース】廃線跡が絶景ハイキングに!群馬・碓氷峠『アプトの道』で歴史と絶品釜めしを巡る旅

群馬県と長野県の県境に位置する碓氷峠。かつて日本の大動脈を支えた鉄道の難所として知られるこの地には、今、その歴史を肌で感じながら絶景の中を歩ける特別な場所があります。それが、旧信越本線アプト式鉄道の廃線敷を利用して整備された遊歩道『アプトの道』です。
明治の偉大な土木技術が息づく煉瓦造りの橋梁やトンネル、そして豊かな自然が織りなす景色は、訪れる人々を魅了してやみません。さらに、この旅を締めくくるのに欠かせないのが、横川駅で誕生した国民的駅弁『峠の釜めし』。温かい益子焼の釜に入った、心温まる味わいは、歩き疲れた体に染み渡る最高の贅沢です。
この記事では、『アプトの道』の歴史的背景からハイキングコースの見どころ、そして『峠の釜めし』の魅力までを徹底解説。歴史と自然、そして食の感動が詰まった、群馬・碓氷峠への旅へご案内します。
アプトの道とは?廃線が語る日本の近代化の歴史
『アプトの道』は、単なる遊歩道ではありません。それは、日本の近代化を支えた鉄道技術の粋と、その激動の歴史を今に伝える貴重な産業遺産そのものです。
交通の難所「碓氷峠」とアプト式鉄道の誕生
古くから交通の難所として知られていた碓氷峠。江戸時代には中山道最大の難所として旅人を苦しめ、明治時代に入り鉄道が敷設される際も、その急峻な地形は技術者たちに大きな課題を突きつけました。横川駅(標高386m)から軽井沢駅(標高939m)までの約11.2kmの区間で、標高差は実に553mにも及びます。これは平均勾配で約50パーミル(1000m進むごとに50m登る)という、通常の鉄道では運行が極めて困難な急勾配でした。
当時の日本の鉄道技術ではこの急勾配を克服する手段がなく、政府は海外の先進技術に目を向けます。様々な方式が検討された結果、スイスの技師カール・ローマン・アプトが開発した「アプト式」鉄道システムが採用されることになりました。アプト式は、通常の車輪とレールによる粘着運転だけでは登坂が困難な急勾配区間において、レールの中央に敷設された歯形レール(ラックレール)と、機関車の車輪とは別に備えられた歯車(ピニオンギア)を噛み合わせることで、強力な牽引力と確実な制動力を得る方式です。スイスでの実績が評価され、日本初の幹線鉄道として碓氷峠に導入されることになったのです。
1893年(明治26年)4月1日、横川~軽井沢間が開通し、日本初のアプト式鉄道が誕生しました。この区間には、26ものトンネルと18もの橋梁が建設され、特に『めがね橋』の愛称で親しまれる碓氷第三橋梁は、その美しいアーチ構造と堅牢さで、当時の土木技術の到達点を示す傑作として知られています。
過酷な運行と電化への移行
開通当初はドイツ製の蒸気機関車が使用されましたが、その運行は極めて過酷なものでした。最高速度は時速10km程度と非常に低速で、横川~軽井沢間11.2kmの所要時間は、上り約1時間15分、下り約1時間と、現在の感覚からすると信じられないほど時間がかかりました。急勾配を登るためには大量の石炭を消費し、機関車からは大量の煤煙が排出されました。特にトンネル内では煤煙が充満し、乗客や乗務員は窒息寸前の状態に陥ることもあったといいます。窓を閉め切っても煤煙が入り込み、乗客は濡れタオルで口を覆うなどしてしのぎました。
大正時代に入ると、日本の産業発展に伴い輸送需要は増大し、蒸気機関車による運行の限界が顕在化します。そこで、より高速で効率的な輸送手段として、日本初の幹線鉄道電化が碓氷峠区間で実施されることになりました。
1912年(大正元年)5月11日、横川~軽井沢間が電化され、国産初の電気機関車ED40形(後にED42形に改良)が導入されました。電化により、運行速度は向上し、煤煙の問題も解消され、輸送力は飛躍的に増強されました。ED42形は、その独特な形状と力強い走りから、多くの鉄道ファンに愛される存在となりました。
新線開通とアプト式の終焉、そして遊歩道へ
しかし、時代はさらに進み、昭和30年代に入ると、高度経済成長期の輸送需要は爆発的に増加します。単線であること、急カーブが多いこと、そして老朽化したトンネル群など、旧線区間は再び輸送のボトルネックとなり始めました。そこで、輸送力増強と高速化を目指し、新たな信越本線横川~軽井沢間の建設が決定されます。
1963年(昭和38年)9月28日、新線が開通し、アプト式鉄道は70年間の歴史に幕を下ろしました。同年9月30日をもって、旧線区間でのアプト式運転は廃止され、碓氷峠の鉄道は新たな時代へと移行しました。アプト式鉄道の廃止は、日本の鉄道技術の進歩と、輸送体系の変化を象徴する出来事でした。
廃線後、旧線区間はしばらく放置されていましたが、その歴史的価値と土木遺産としての重要性が認識されるようになります。特に『めがね橋』をはじめとする構造物は、日本の近代化を支えた貴重な産業遺産として、その保存と活用が望まれました。
1993年(平成5年)、横川~熊ノ平間の約6kmの区間が遊歩道『アプトの道』として整備され、一般に開放されました。これは、アプト式鉄道開通100周年を記念するものでした。その後、2012年(平成24年)には、熊ノ平から旧軽井沢駅方面へ向かう約4.2kmの区間も延伸整備され、現在は横川駅から旧軽井沢駅手前まで、全長約10kmのウォーキングコースとして親しまれています。
アプトの道ハイキングコース徹底ガイド!見どころ満載の道のり
アプトの道は、横川駅から旧熊ノ平駅までの片道約6.3km、往復約12.6kmのハイキングコースです。往路は約125分、復路は約96分と、体力に合わせて楽しめるのが魅力です。ここでは、道中の見どころを詳しくご紹介します。
スタート地点:横川駅と周辺施設
旅の始まりは、JR信越本線横川駅。アプトの道の起点までは徒歩3分とアクセス抜群です。車で訪れる場合も、上信越自動車道松井田妙義ICから車で約7分と便利です。
碓氷峠鉄道文化むら 横川駅のすぐ隣にある「碓氷峠鉄道文化むら」は、アプトの道ハイキングの前にぜひ立ち寄りたいスポットです。アプト式機関車EC40形やED42形の実物車両が保存・展示されており、鉄道の歴史をより深く学ぶことができます。実際に車両に乗れたり、ミニSLに乗車できたりと、大人から子供まで楽しめる施設です。
碓氷関所跡 横川駅から徒歩約8分(約0.5km)の場所には、江戸時代に中山道の重要関門として設置された「碓氷関所跡」があります。1623年に江戸幕府によって設置され、「入鉄砲と出女」を厳しく監視した歴史の舞台です。復元された東門や、関所史料展示室で当時の様子を垣間見ることができます。毎年5月には「碓氷関所まつり」も開催されます。
歴史の息吹を感じる道中
横川駅を出発し、アプトの道を進むと、すぐに歴史的な建造物や美しい自然が次々と現れます。
旧丸山変電所 出発地点から約2km(約30分)のところにあるのが、国の重要文化財に指定されている「旧丸山変電所」です。明治45年に建設された2棟の煉瓦造りの建物は、碓氷線が幹線鉄道で初めて電化された際に、電気機関車を支えた重要な施設でした。遊歩道に突如現れる堂々とした姿は圧巻で、その美しい煉瓦造りの外観は、当時の技術力の高さを物語っています。
トンネル群の魅力と注意点 アプトの道には、かつての鉄道トンネルが10箇所残されており、その中を歩くことができます。ひんやりとした空気と、当時の面影を残す煉瓦積みの壁が、歴史の重みを感じさせます。トンネル内は照明が整備されていますが、午後6時には消灯します。夜間のトンネル内は危険ですので、日中の明るい時間帯に訪れるようにしましょう。また、夏場でもトンネル内はひんやりとしているため、羽織るものがあると安心です。
碓氷湖の絶景ポイント めがね橋へ向かう途中には、美しい「碓氷湖」が見える絶景ビューポイントがあります。湖面に映る周囲の緑や空は、歩き疲れた体を癒してくれることでしょう。紅葉の時期には、湖畔が鮮やかに彩られ、さらに美しい景色が広がります。
圧巻のシンボル:めがね橋(碓氷第三橋梁)
アプトの道のハイライトともいえるのが、国の重要文化財「碓氷第三橋梁」、通称『めがね橋』です。丸山変電所からさらに約2.1km(約45分)進むと到着します。
明治25年(1892年)に建設されたこの橋は、川底からの高さが31m、長さ91mの雄大な4連アーチ橋で、日本最大級の煉瓦造りアーチ橋です。芸術と技術が融合したその美しい姿は、まさに圧巻の一言。橋の上を歩くこともでき、眼下には碓氷川の清流が流れ、周囲の豊かな自然とのコントラストが素晴らしいです。
橋を渡りきると階段があり、下に降りると迫力満点のめがね橋を間近で見上げることができます。多くのハイカーがここで足を止め、記念撮影を楽しんでいます。めがね橋にはトイレも完備されているので安心です。
折り返し地点:旧熊ノ平駅
めがね橋からさらに約1.2km(約25分)進むと、アプトの道の折り返し地点である「旧熊ノ平駅」に到着します。かつては山中にある碓氷峠の中間駅として、列車交換や機関車の付け替えが行われた重要な駅でした。
現在は駅舎は残っていませんが、ホームの跡や、当時の殉職者慰霊碑などが残されており、鉄道の歴史を静かに物語っています。ここにもトイレが設置されているので、休憩に利用しましょう。熊ノ平駅は現在、公共交通機関が通っていないため、ここから引き返すのが一般的です。
ハイキングの準備と注意点
アプトの道は整備された遊歩道ですが、片道約6.3km、往復約12.6kmと距離があります。快適にハイキングを楽しむために、以下の点に注意しましょう。
- 服装と靴: 履き慣れたウォーキングシューズやスニーカーが必須です。動きやすい服装で、夏場でもトンネル内はひんやりするため、薄手の羽織るものがあると良いでしょう。
- 水分補給: 自動販売機やお手洗いは途中に数カ所ある程度なので、十分な水分を持参しましょう。
- トイレ: めがね橋と旧熊ノ平駅にトイレが設置されています。
- 時間帯: トンネル内の照明は午前7時から午後6時までです。安全のため、日没前にハイキングを終える計画を立てましょう。
旅の締めくくりは「峠の釜めし」!その歴史と美味しさの秘密
アプトの道でのハイキングを終えたら、旅の疲れを癒す最高のグルメが待っています。それが、横川駅で誕生し、全国にその名を轟かせた国民的駅弁『峠の釜めし』です。
国民的駅弁の誕生秘話
『峠の釜めし』を製造・販売する「荻野屋」は、明治18年(1885年)に信越本線高崎駅-横川駅の部分開業とともに創業しました。初期の駅弁はおにぎり二個に沢庵漬けを添えたシンプルなものでした。
戦後、旅行者数が増加する一方で、当時の駅弁はどこも似たような内容で人気が低迷していました。荻野屋も例外ではなく、全列車が横川-軽井沢間の碓氷峠通過に際し、補助機関車の連結が必要なために長時間停車する駅という立地にもかかわらず、業績が低迷していました。
そこで、当時の4代目社長であった高見澤みねじは、停車中の列車に乗り込み、旅行者に駅弁に対する意見を聞いて回りました。意見の大半は「暖かく家庭的で、楽しい弁当」というものでした。高見澤と、当時社員で後に副社長となる田中トモミは、その意見をどのように駅弁に反映するかを考え、弁当と一緒に販売する緑茶の土瓶に着目しました。当時の駅で販売されていた緑茶の土瓶は陶器製で、保温性に優れ、匂いも移らないという利点がありました。
さらに、「中山道を越える防人が土器で飯を炊いた」という和歌にヒントを得て、益子焼の職人に相談し、一人前用の釜を作成させました。こうして、当時の「駅弁は折り詰め」という常識を破り、1958年2月1日から販売が開始されたのが『峠の釜めし』です。当時としては画期的な温かい駅弁であったことや、メディアに取り上げられたことから徐々に人気商品となり、その後の隆盛へとつながるきっかけとなりました。
釜めしの具材とこだわり
『峠の釜めし』は、直径140mm、高さ85mm、重量725gの益子焼の釜に入った薄い醤油味の出汁による炊き込みご飯です。秘伝のダシで炊き上げた自家精米のコシヒカリの上に、色彩豊かな9種類の具材がのせられています。
主な具材:
- 茶めし(コシヒカリ)
- 鶏肉
- ささがき牛蒡
- 椎茸
- 筍
- うずらの卵
- 栗
- 杏子
- グリンピース
- 紅生姜
これに加えて、別容器に入った香の物(キュウリ漬け・ごぼう漬け・小ナス漬け・小梅漬け・わさび漬け)が添えられています。一つ一つの具材が丁寧に調理されており、それぞれの味が絶妙に調和しています。
益子焼の釜は保温性に優れているだけでなく、食べ終わった後も家庭でご飯を炊いたり、植木鉢として再利用したりすることができます。不要な場合は荻野屋の各店舗で回収もしてくれるので、環境にも配慮されています。
どこで買える?「峠の釜めし」販売情報
『峠の釜めし』は、その発祥の地である横川を中心に、様々な場所で購入することができます。
荻野屋 横川本店 明治18年創業の荻野屋の本店は、信越線横川駅前にあります。まさに『峠の釜めし』発祥の地。ここでは、釜めしの単品(お持ち帰りのみ)のほか、「峠の釜めし定食(みそ汁、碓氷峠の力餅1個付)」を店内で味わうこともできます。営業時間は10:00~16:00(L.O 15:30)で、毎週火曜日が定休日です。
横川サービスエリア(上信越自動車道) 車で訪れる方には、上信越自動車道の横川サービスエリア(上り線・下り線)が便利です。ドライブの途中に立ち寄って、温かい釜めしを味わうことができます。
駅売店 横川駅構内はもちろん、軽井沢駅や安中榛名駅の売店でも購入可能です。また、東京駅や上野駅、大宮駅などの主要駅の駅弁売店でも取り扱いがあります。
都内直営店舗 東京には「荻野屋 八幡山」「荻野屋 日本橋髙島屋」「荻野屋 弦 有楽町」「OGINOYA OHACO ニュウマン新宿」など、複数の直営店舗があり、都心でも出来立ての釜めしを味わうことができます。
駅弁大会・イベント販売 全国各地で開催される百貨店やスーパーマーケットの「駅弁フェア」などでも定番商品として販売されており、遠方の方でも購入するチャンスがあります。
アプトの道と峠の釜めしを巡る旅のモデルコース
歴史と自然、そして絶品グルメを一度に楽しめる、アプトの道と峠の釜めしを巡る日帰りモデルコースをご提案します。
午前:歴史と鉄道に触れる時間
- JR横川駅に到着:電車で訪れる場合は、横川駅が旅の起点です。
- 碓氷峠鉄道文化むら見学:駅に隣接する鉄道文化むらで、アプト式鉄道の歴史や車両について学びましょう。ミニSL乗車体験もおすすめです。
- 碓氷関所跡散策:鉄道文化むらから徒歩圏内の碓氷関所跡で、江戸時代の交通の要衝に思いを馳せます。
昼食:発祥の地で「峠の釜めし」を堪能
- 荻野屋 横川本店で昼食:ハイキング前に、横川本店で「峠の釜めし定食」を味わうのがおすすめです。温かい釜めしでエネルギーをチャージしましょう。テイクアウトして、アプトの道途中の景色の良い場所で食べるのも良いでしょう。
午後:絶景ハイキング「アプトの道」へ
- アプトの道ハイキングスタート:横川駅近くの起点からアプトの道へ。旧丸山変電所の堂々たる姿に感動し、トンネルのひんやりとした空気を楽しみながら進みます。
- めがね橋で絶景を満喫:アプトの道のシンボル、めがね橋に到着。橋の上からの眺めと、橋の下から見上げる迫力ある姿を写真に収めましょう。ここで一休みするのも良いでしょう。
- 旧熊ノ平駅で折り返し:めがね橋からさらに進み、旧熊ノ平駅で折り返します。かつての駅の面影を感じながら、復路は下り坂なので比較的楽に歩けます。
- 横川駅へゴール:約4~5時間のハイキングを終え、横川駅へ戻ります。
その他周辺観光(時間があれば)
- 峠の湯:アプトの道から少し外れますが、ハイキングの疲れを癒す温泉施設「峠の湯」もおすすめです。露天風呂から自然を眺めながらリラックスできます。
このモデルコースはあくまで一例です。体力や興味に合わせて、自由にアレンジして自分だけの旅を楽しんでください。
まとめ:歴史と自然、そして食の感動を味わう旅へ
群馬県安中市の『アプトの道』は、日本の近代化を支えた鉄道の歴史を肌で感じられる、唯一無二のハイキングコースです。雄大な煉瓦造りの橋梁やトンネル、そして豊かな自然が織りなす景色は、訪れる人々に深い感動を与えてくれます。
そして、この歴史と自然の旅を締めくくるのは、温かい益子焼の釜に入った『峠の釜めし』。その誕生秘話に触れ、こだわり抜かれた具材を味わうことで、旅の思い出はさらに豊かなものになるでしょう。
都会の喧騒を離れ、歴史の息吹を感じながら自然の中を歩き、心温まる絶品グルメに舌鼓を打つ――。そんな贅沢な体験が、群馬・碓氷峠にはあります。ぜひ、次の週末は『アプトの道』と『峠の釜めし』を巡る旅に出かけてみませんか?きっと、忘れられない感動があなたを待っています。
関連情報
- 安中市観光ガイドマップ:https://www.city.annaka.lg.jp/soshiki/13/2057.html
- 峠の釜めし本舗 おぎのや:https://www.oginoya.co.jp/
- アプトの道案内図:https://www.city.annaka.lg.jp/soshiki/13/2000.html