公開日: 2025年5月26日

日本のフェイクニュース対策最前線:FIJの挑戦とメディアリテラシーの重要性

日本のフェイクニュース対策最前線:FIJの挑戦とメディアリテラシーの重要性

はじめに:情報過多時代の新たな脅威

インターネットとソーシャルメディアの爆発的な普及は、私たちの情報収集やコミュニケーションの方法を劇的に変化させました。誰もが瞬時に世界中の情報にアクセスし、自らも情報発信者となれる時代です。しかし、この情報化社会の恩恵の裏側で、深刻な問題として浮上しているのが「フェイクニュース」の拡散です。真偽不明な情報や、意図的に歪められた情報が、あたかも事実であるかのように広がり、社会に混乱や分断をもたらしています。

フェイクニュースは、単なる間違い情報にとどまりません。政治的な意図を持った情報操作、経済的な利益を目的とした扇動、あるいは特定の個人や集団への誹謗中傷など、その目的は多岐にわたります。特に近年、AI技術の進化によって、本物と見分けがつかないほど精巧な偽の音声や動画を作成できる「ディープフェイク」が登場し、その脅威は増大しています。総務省の情報通信白書でも、ディープフェイクを用いた情報操作や悪用が増加している現状が指摘されています。

このような状況下で、私たち一人ひとりが情報を見極める力を持ち、社会全体で偽情報に対抗する仕組みを構築することが喫緊の課題となっています。本記事では、日本のフェイクニュース対策の現状と課題、そしてその最前線で活動する「ファクトチェック・イニシアティブ(FIJ)」の挑戦、そして私たち自身が身につけるべき「メディアリテラシー」の重要性について、具体的な事例や取り組みを交えながら掘り下げていきます。

フェイクニュースの多様な脅威と社会への影響

フェイクニュースは、その性質や目的によって様々な形態をとります。単なる誤報(ミスインフォメーション)だけでなく、意図的に作成された偽情報(ディスインフォメーション)、さらには攻撃や嫌がらせを目的とした悪意ある情報(マルインフォメーション)も含まれます。これらの情報は、インターネットやSNSを通じて驚異的なスピードで拡散し、社会の様々な側面に深刻な影響を与えています。

ディープフェイクの悪用事例

AI技術、特に深層学習(ディープラーニング)を用いて合成されたディープフェイクは、そのリアリティから新たな脅威となっています。総務省の情報通信白書によると、ディープフェイクは「本物であるかのように誤って表示し、人物が発言・行動していない言動を行っているかのような描写をすること」を特徴とするAI技術を用いた合成コンテンツと定義されています。近年、世界各国でディープフェイクによる情報操作や悪用が増加しており、その対策はいたちごっこの様相を呈しています。

具体的な事例としては、ウクライナのゼレンスキー大統領が投降を呼びかける偽動画や、アメリカのトランプ前大統領が逮捕される偽写真がSNS上で拡散され、混乱を招いたケースが挙げられます。国内でも、生成AIを利用して作成された著名人の偽動画がSNSで拡散した事例が報告されています。

ディープフェイクは、政治的な情報操作だけでなく、詐欺や嫌がらせにも悪用されています。トレンドマイクロの調査では、2024年時点で日本人の73.5%がディープフェイクの悪用に対して不安を感じており、警察庁の発表では、ディープフェイクを用いた特殊詐欺(SNS型投資詐欺やロマンス詐欺など)の発生件数が増加していることが報告されています。ビデオ通話で実在しない人物を登場させたり、実在の人物になりすましたりする手口が確認されており、その巧妙化が進んでいます。

選挙や社会分断への影響

フェイクニュースは、民主主義の根幹である選挙にも影響を及ぼす可能性があります。2024年は世界各国で重要な選挙が予定されており、情報操作のリスクが高まっています。実際に、インドネシア大統領選挙や米国大統領選挙の予備選において、生成AIを用いたディープフェイクによる情報操作の事例が確認されています。

また、新型コロナウイルス感染症のパンデミック時には、5G電波とウイルスの関連を主張する偽情報が拡散し、通信基地局への妨害行為につながるなど、社会的な影響も発生しました。フェイクニュースは、社会の信頼を損ない、分断を拡大させる恐れがあるとして、世界経済フォーラムは2024年の最も重大なリスクの一つに「偽情報」を挙げています。

アテンション・エコノミーと偽情報の拡散

インターネット上では、膨大な情報が流通しており、私たちの限られた注意(アテンション)が経済的な価値を持つようになっています(アテンション・エコノミー)。プラットフォーム事業者は、ユーザーの関心を引きやすい扇情的な情報や、既存の信念を強化するような情報を優先的に表示する傾向があり、これがフェイクニュースの拡散を助長する構造を生み出しています。元メタ社員の内部告発で指摘された「怒りを刺激するコンテンツを上位に表示するアルゴリズム」は、このアテンション・エコノミーの追求の結果とも推測されています。

このように、フェイクニュースは技術的、心理的、経済的な要因が複雑に絡み合って生まれ、社会に多岐にわたる悪影響を及ぼしています。その対策は、もはや個人や一部の組織だけの問題ではなく、社会全体で取り組むべき課題となっています。

日本におけるフェイクニュース対策の現状と課題

日本でもフェイクニュースの問題は認識されており、様々な主体が対策に取り組んでいます。しかし、欧米諸国と比較すると、その取り組みはまだ発展途上にあると言えます。

政府の検討会と法規制の議論

総務省は、デジタル空間における情報流通の健全性確保に向けた検討を進めています。2023年11月からは「デジタル空間における情報流通の健全性確保のあり方に関する検討会」を開催し、2024年夏頃を目途にとりまとめを行う予定です。過去の検討会では、プラットフォーム事業者に対する情報開示の要請が海外事業者になかなか受け入れられない事例もあり、法的な枠組みの必要性が議論されています。

海外では、プラットフォーム事業者に対する法規制が進んでいます。EUではデジタルサービス法(DSA)が成立し、超大規模オンラインプラットフォームに対してリスク評価やリスク軽減措置の実施、コンテンツモデレーションの透明性・説明責任の確保などを義務付けています。違反には巨額の罰金が科される可能性があります。英国でもオンライン安全法が成立し、有害情報の送信者に対する罰則規定などが盛り込まれています。米国でも、プラットフォーム事業者の責任を一部強化する方向での議論が行われています。

日本においても、総務省の検討会では、プラットフォーム事業者に対してコンテンツモデレーションの透明性向上や説明責任を求めるための「法的枠組みの導入」が提言されています。ただし、表現の自由への配慮から、削除義務の直接的な規定ではなく、報告義務などを通じた透明性・説明責任の確保に重点が置かれる見込みです。フェイクニュースへの対応については、誹謗中傷よりもさらに慎重な検討が必要とされています。

技術的な対策の進展

フェイクニュースに対抗するための技術開発も進んでいます。インターネット上のニュース記事などに発信者情報を付与する「オリジネータープロファイル(OP)」技術の研究開発が進められています。これにより、なりすましや改変が見破られやすくなり、透明性の高いコンテンツをユーザーが選択できるようになることが期待されています。

また、国立情報学研究所(NII)は、AIが生成した偽の顔画像を自動判定するツール「SYNTHETIQ VISION」を開発しました。さらに、改変箇所なども特定できるより高度なディープフェイク対策技術「Cyber Vaccine」の開発も進められています。民間企業でも、トレンドマイクロがビデオ通話中のディープフェイクを検出するツールを提供したり、NABLAS株式会社が生成AIによるコンテンツの「アーティファクト」(生成痕跡)を識別するサービスを提供したりするなど、技術的な対策が進んでいます。

フェイクニュースのイメージ
画像引用元: time-space.kddi.com

ファクトチェックの役割とFIJの挑戦

フェイクニュース対策の重要な柱の一つが「ファクトチェック」です。ファクトチェックとは、事実に関する言説(クレイム)の真偽を公正に調査し、その検証結果を公表する活動です。これにより、誤った情報が社会に広がるのを防ぎ、人々が情報を見極めるための判断材料を提供します。

ファクトチェック・イニシアティブ(FIJ)の設立と活動

日本におけるファクトチェックの普及・推進を目的として、2017年6月にジャーナリストや専門家らによって設立されたのが、特定非営利活動法人ファクトチェック・イニシアティブ(FIJ)です。FIJは、誤情報や真偽不明な情報が拡散し、社会的分断への懸念が高まる中で、ファクトチェックをジャーナリズムの重要な役割と位置づけ、社会に誤った情報が広がるのを防ぐ仕組み作りを目指しています。

FIJは、政府や特定の組織から独立した非営利団体として活動しており、その運営は主に会費や寄付、民間の助成金によって支えられています。FIJの取り組みは、総務省の情報通信白書でも紹介されるなど、公的な認知も得ています。

FIJの活動は、主に以下の三本柱で構成されています。

  1. ファクトチェックの認知・信頼の向上: セミナーやイベント、ウェブサイトでの情報発信を通じて、ファクトチェックの意義や重要性を広く伝えています。また、各メディアが実施したファクトチェック結果を一覧・検索できるウェブアプリ「FactCheck Navi」を運営し、ファクトチェックへのアクセス向上を図っています。優れたファクトチェック記事を顕彰する「ファクトチェックアワード」も開催しています。
  2. メディア・企業・市民との連携: ファクトチェックを実践するメディアや関連企業、市民・学生と連携し、共同プロジェクトを実施しています。特に選挙時には、複数のメディアと連携して候補者や政党の言説に対するファクトチェックを行うプロジェクトを実施し、成果を上げています。市民や学生が「ファクトチェックアソシエイト」として疑義言説のモニタリングに参加するなど、多様な主体との協働を推進しています。
  3. ファクトチェック支援システムの開発・運用: ファクトチェック活動を効率的に行うためのシステム開発にも取り組んでいます。東北大学やスマートニュースと協力して開発した、機械学習により疑義言説を収集・データベース化するシステム「ClaimMonitor」を運用し、ファクトチェックに取り組むメディアや団体に提供しています。

日本ファクトチェックセンター(JFC)の活動

FIJと連携しながら、実際にファクトチェック記事を作成・公表している団体の一つに、日本ファクトチェックセンター(JFC)があります。JFCは、SNSなどで拡散した疑わしい情報を専門スタッフが検証し、「誤り」「不正確」「根拠不明」「ほぼ正確」「正確」の5段階で判定しています。

JFCは、情報を見破るための「4つの検証ステップ」を提唱しています。

  1. 情報の発信元の身元を確認する: 発信者が誰か、どんな組織かを知ることで情報の信頼度を推測します。匿名アカウントや部外者には注意が必要です。
  2. 他者から誤りが指摘されていないか調べる: SNSのコメントなどで、他のユーザーが疑念を示していないかを確認します。
  3. 報道機関や公的機関の情報と照合する: 疑わしい情報が真実であれば、信頼できるメディアや公的機関も同様の情報を発信しているはずです。
  4. 情報ソースから正確に引用しているか確認する: 元の情報源を確認し、内容が歪められていないかをチェックします。

JFCは、これらの原則に基づき、具体的なファクトチェック事例(NATO軍の日本駐屯検討報道の改変、過去写真の使い回し、BBC報道の都合の良い改変など)を紹介し、情報検証の重要性を啓発しています。

ファクトチェックのイメージ
画像引用元: fij.info

メディアリテラシーの重要性:情報を見極める力を育む

ファクトチェックが「解熱剤」だとすれば、私たち一人ひとりが身につけるべき「メディアリテラシー」は「予防接種」のようなものです。情報過多の時代において、誤った情報に惑わされず、主体的に情報と向き合うためには、メディアリテラシーの向上が不可欠です。

日本のメディアリテラシー教育の現状と課題

法政大学の坂本旬教授は、欧米諸国がメディアリテラシー教育を国家戦略として推進しているのに対し、日本の取り組みは遅れていると指摘しています。フィンランドのように、小学校から体系的なメディアリテラシー教育を導入し、情報の信頼性を見極める力を養う国がある一方で、日本では従来、「情報モラル教育」が中心でした。

情報モラル教育は、インターネット上の危険性やルールを教えることに重点が置かれがちですが、坂本教授は、これだけでは不十分であり、デジタル時代の市民として責任あるICT活用能力「デジタル・シティズンシップ」の観点から、批判的に情報を見極める力を育むメディアリテラシー教育へのシフトが必要だと主張しています。総務省の報告書でも、ユネスコが提唱する広範な概念としての「メディア情報リテラシー」や「デジタル・シティズンシップ」の重要性が明記され、政策に盛り込む方向性が示されました。

しかし、学習指導要領の改訂を待つことなく、喫緊の課題としてメディアリテラシー教育に取り組む必要があります。特に、幼い頃からインターネットに触れる機会が多い現代の子どもたちは、情報の真偽を気にせず面白ければ拡散してしまう傾向があるという指摘もあり、早期からの教育が求められています。

情報を見極めるための具体的なスキルと教育

メディアリテラシーを高めるためには、情報を受け取る際の意識と具体的なスキルが必要です。ジャーナリストの下村健一氏は、「情報」は常に編集・構成されており、発信者の意図が混入することを理解することの重要性を説いています。そして、情報の受信力を高める最良の方法として、自ら情報発信を経験することを勧めています。

情報を見極めるための具体的な考え方として、下村氏は「ソウカナ」という合言葉を提唱しています。

  • : 即断しない... いったん止める習慣づけ
  • : 鵜呑みにしない...意見印象を峻別する力
  • : 偏らない..ほかの見方、考え方もありうると思いつく力
  • : だけ見ない...スポットライトの外側に隠れているかもしれない情報を、想像し見いだす力

また、坂本旬教授は、メディアメッセージの読解に役立つ「さぎしかな」リスト(作者、技術、視聴者、価値観、なぜ)や、情報源の評価に役立つ「だいじかな」リスト(誰、いつ、事実、関係、なぜ)といったツールを紹介しています。これらのリストに沿って情報やメディアコンテンツを分析することで、批判的な視点を養うことができます。さらに、複数の情報源を横断的に確認する「横読み」も有効な手法です。

これらのスキルは、学校教育だけでなく、家庭や社会教育の場でも育むことができます。下村氏は、特別な教材がなくても、日常会話の中で身近なニュースについて「ソウカナ」の視点で話し合うことでも十分な効果があるとしています。図書館や生涯学習センターなどを活用した大人向けのメディア情報リテラシー教育も推進されています。

日本メディアリテラシーの活動

一般社団法人日本メディアリテラシーは、全国各地で学校、PTA、行政、企業などを対象に、メディア情報リテラシーやSNSリテラシーに関する研修や講演活動を行っています。GIGAスクール構想における学校と家庭の連携や、地域に根差した草の根的な啓発活動にも取り組んでおり、実践的なメディアリテラシー教育の普及に貢献しています。

メディアリテラシー教育のイメージ
画像引用元: www2.nhk.or.jp

FIJの挑戦とメディアリテラシーの連携

FIJのファクトチェック活動は、単に偽情報を検証するだけでなく、社会全体のメディアリテラシー向上にも貢献しています。FIJが提供するFactCheck NaviやClaimMonitorシステムは、メディアや研究者がファクトチェックを効率的に行うための基盤を提供し、質の高い検証記事の増加につながります。これにより、読者はより信頼できる情報にアクセスしやすくなります。

また、FIJが公開しているファクトチェックガイドラインは、メディアや市民がファクトチェックを行う際の手法や基準を示しており、実践的なメディアリテラシーの習得に役立ちます。市民や学生がファクトチェックアソシエイトとして活動に参加することは、情報検証のプロセスを体験的に学ぶ貴重な機会となります。

FIJは、メディア、企業、研究機関、市民など、様々なステークホルダーとの連携を重視しています。この連携を通じて、ファクトチェックの知見や技術を共有し、社会全体で偽情報に対抗する力を高めようとしています。ファクトチェックとメディアリテラシーは、偽情報対策の両輪として、互いに補完し合いながら機能していくことが重要です。

今後の展望と私たちにできること

日本のフェイクニュース対策は、法規制、技術開発、ファクトチェック、そしてメディアリテラシー教育という多角的なアプローチで進められています。総務省の検討会での議論や、FIJをはじめとする団体の活動は、その重要な一歩です。しかし、偽情報の手法は常に進化しており、対策も継続的に見直し、強化していく必要があります。

今後の課題としては、プラットフォーム事業者に対するより実効性のある規制のあり方、AI技術を用いた偽情報検出技術の精度向上と普及、そして何よりも、国民全体のメディアリテラシーを底上げするための教育体制の強化が挙げられます。特に、学校教育におけるメディアリテラシーの体系的な導入や、大人向けの社会教育の充実が急務です。

私たち一人ひとりができることもたくさんあります。

  • 情報源を確認する: 信頼できる情報源かどうか、複数の情報源で裏付けが取れるかを確認しましょう。
  • 批判的な視点を持つ: 情報の裏にある意図や背景を考え、「ソウカナ」「だいじかな」といったツールを活用してみましょう。
  • 安易な拡散を避ける: 真偽が不明な情報は、むやみにシェアしたりリツイートしたりしないようにしましょう。発信には責任が伴います。
  • メディアリテラシーを学ぶ: 学校や地域の講座、オンライン教材などを活用して、情報を見極めるスキルを積極的に学びましょう。
  • ファクトチェック活動を支援する: FIJのようなファクトチェック団体や、信頼できるメディアの活動に関心を持ち、支援することも重要です。

まとめ

フェイクニュースは、現代社会が直面する深刻な課題であり、その対策は待ったなしです。日本の対策は進みつつありますが、欧米諸国に学ぶべき点も多くあります。FIJのファクトチェック活動は、偽情報に対抗するための重要な砦であり、その挑戦は続いています。そして、この戦いにおいて最も強力な武器となるのが、私たち一人ひとりが身につけるメディアリテラシーです。

情報過多の時代を賢く生き抜くために、情報の受け手である私たち自身が、主体的に情報を見極める力を養うことが求められています。ファクトチェックの取り組みを理解し、メディアリテラシーを高める努力を続けることで、偽情報に惑わされない、より健全な情報社会の実現に貢献できるはずです。共に、信頼できる情報に基づいた社会を築いていきましょう。