公開日: 2025年5月26日

日本の歴史教科書はなぜ近隣国と摩擦を生むのか?「つくる会」以降の変遷と課題を解説

歴史教科書は、単に過去の出来事を学ぶための教材ではありません。それは、その国が自らの歴史をどのように捉え、次世代に何を伝えようとしているのかを示す鏡のようなものです。特に日本では、歴史教科書を巡る問題が、長年にわたり近隣諸国、とりわけ韓国や中国との間で深刻な摩擦の原因となってきました。なぜ日本の歴史教科書はこれほどまでに国際的な注目を集め、論争の的となるのでしょうか。

この問題は、1980年代以降、繰り返し表面化してきましたが、1990年代後半に登場した「新しい歴史教科書をつくる会」(以下「つくる会」)の活動は、その後の歴史教科書問題を語る上で避けて通れない大きな転換点となりました。本記事では、日本の歴史教科書制度の仕組みを概観しつつ、なぜ近隣国との間で摩擦が生じるのか、過去の主な事例、そして「つくる会」の登場とその影響、その後の変遷と現在の課題について、包括的に解説します。

日本の教科書制度の仕組み

日本の公教育で使用される教科書は、国定ではなく、民間の出版社が作成し、文部科学省の検定を経て、学校や教育委員会が採択するという独特の制度をとっています。この制度は、大きく分けて以下の三段階で運用されます。

  1. 民間の出版社による作成: 文部科学省が定める「学習指導要領」を基準に、複数の民間出版社が教科書を執筆・編集します。執筆には大学の研究者や現場の教員などが携わります。学習指導要領は教科書の目標や内容の範囲、構成の大枠を示すもので、具体的な記述内容は編集会議で決定されます。約5年ごとに改訂が行われます。

  2. 文部科学省による検定: 出版社が作成した原稿は、文部科学省に提出され、検定を受けます。検定は「教科用図書検定規則」と「学習指導要領」に基づいて行われ、教科用図書検定調査審議会での審議を経て、文部科学大臣が合否を決定します。検定では、客観的事実の誤認、表記の誤り、文章の曖昧さや難解さなどが指摘されるほか、政治的・宗教的な不偏不党性、特定の事項への偏りがないか、一面的な見解を取り上げていないかなどが審査されます。特に社会科の教科書には、「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること」という、いわゆる「近隣諸国条項」が検定基準として設けられています。検定に合格するためには、検定意見に従って修正を行う必要があります。

  3. 学校や地方自治体による採択: 検定に合格した教科書の中から、実際に学校で使用する教科書を選定(採択)します。高等学校や私立の小中学校では各学校が採択しますが、公立の小中学校では、市町村立の場合は市町村教育委員会が、都道府県立の場合は都道府県教育委員会が担当します。公立小中学校については、全国を約580カ所の採択地区に分け、原則として1つの採択地区で1種類の教科書を採択する制度がとられています。この採択過程には、教員や学識経験者の意見に加え、生徒の保護者などの意見も反映される仕組みがあります。

この制度の特徴は、複数の民間出版社による多様性の追求と、文科省による検定を通じた一定の基準・画一性の確保、そして採択における地方分権的な決定プロセスが組み合わさっている点にあります。しかし、この制度が、歴史認識を巡る国内外の対立と結びつくことで、複雑な問題を引き起こしてきました。

日本の教科書制度のフロー

歴史教科書問題の発生と初期の対応(1980年代)

日本の歴史教科書が近隣諸国との間で大きな問題として表面化したのは、1980年代に入ってからです。特に1982年と1986年には、教科書の記述を巡って韓国や中国から強い批判が寄せられ、外交問題に発展しました。

1982年の教科書問題

1982年、高校歴史教科書の検定結果が公表された際、一部の新聞報道が「侵略」が「進出」に書き換えられたと報じました。この報道は後に一部に誤りがあったことが判明しますが、これをきっかけに韓国や中国から日本の歴史認識に対する強い批判と教科書の修正要求が起こりました。当初、日本政府内では「内政干渉」として批判を退ける動きもありましたが、外交関係への影響を懸念した外務省と、検定制度の維持にこだわる文部省の間で対応が分かれました。最終的に、日本政府は宮沢喜一官房長官談話を発表し、「近隣諸国との友好・親善の見地から、近現代史の記述について、政府の責任において是正する」と表明しました。この「是正」を実行するために、検定基準に「近隣諸国条項」が追加されることになります。この問題は、日本の歴史教科書が単なる国内問題ではなく、国際関係に影響を与える敏感な政治争点であることを改めて浮き彫りにしました。

1986年の教科書問題

1986年には、原書房の高校日本史教科書『新編日本史』の記述を巡って再び問題が起こりました。この教科書は、他の教科書に比べて国家主義的な傾向が強いと批判され、特に中国政府が公式に抗議しました。韓国政府は1982年の問題を受けて導入された「近隣諸国条項」による日本政府の自主的な「是正」を期待し、公式抗議は控えましたが、非公式な形で修正を求めました。日本政府は、検定制度を逸脱する形でこの教科書に対する大幅な修正(「超法規的修正」とも呼ばれた)を行いました。また、この問題に関連して、植民地支配に関する発言が批判された藤尾正行文部大臣が罷免されるという異例の事態も発生しました。これは、当時の日本政府が近隣諸国との外交関係を優先し、教科書問題を早期に収束させようとした姿勢を示すものでした。

これらの1980年代の教科書問題は、日本の歴史教科書が近隣諸国、特に韓国や中国の歴史認識と大きく乖離していること、そしてそれが外交上の火種となりやすい構造を露呈しました。日本政府は「近隣諸国条項」の導入や個別の修正対応によって事態の沈静化を図りましたが、歴史認識の根本的な溝は埋まらないままでした。

「新しい歴史教科書をつくる会」の登場と主張

1990年代後半に入ると、日本の歴史教育に対する新たな動きが表面化します。1997年に結成された「新しい歴史教科書をつくる会」(つくる会)は、従来の歴史教科書が「自虐史観」に毒されていると強く批判し、子供たちが日本人としての自信と誇りを持てるような「自由主義史観」に基づく新しい歴史教科書を作成・普及することを目的としました。

「つくる会」は、戦後の歴史教育が、日本の過去、特に近代以降の歴史を必要以上に否定的に描きすぎていると考えました。彼らは、東京裁判史観や社会主義幻想史観を克服し、日本の歴史を肯定的に捉え直すことを主張しました。具体的には、日中戦争や植民地支配における日本の行為に対する記述が、日本の責任を過度に強調していると批判し、南京事件や従軍慰安婦問題に関する記述についても、証拠が不十分であるとして削除や修正を求めました。

「つくる会」は、教科書作成だけでなく、その採択を推進するための社会運動を展開しました。日本会議などの保守系団体と連携し、教育委員会や地方議会に対して、自らが編集した教科書を採択するよう働きかけを行いました。この運動は、従来の教科書問題が主に政府間の外交交渉や検定制度の運用を巡るものであったのに対し、地方の採択過程に焦点を当て、草の根レベルでの運動を展開した点で特徴的でした。

新しい歴史教科書をつくる会の活動イメージ
画像引用元: monument9fuchu.amebaownd.com

2001年の教科書問題と「つくる会」の影響

「つくる会」の活動が最も大きな影響力を持ったのが、2001年の教科書検定でした。この年、「つくる会」が編集した中学校歴史教科書(扶桑社発行)が検定に合格しました。この教科書は、検定意見が137箇所も付くなど、内容について多くの指摘を受けましたが、修正を経て合格に至りました。

この「つくる会」教科書の検定合格は、韓国や中国から過去にないほど強い反発を招きました。両国政府は、教科書の内容が日本の過去の侵略行為や植民地支配を美化・矮小化しているとして、日本政府に再修正を強く要求しました。特に韓国政府は、教科書問題を日韓二国間の問題としてだけでなく、国際社会に訴えかけるという新たな対応方針をとりました。

一方、日本政府は、1980年代とは異なり、教科書検定は学術的判断に基づくものであり、政府が特定の内容に介入することはできないという「不介入」の姿勢を強く打ち出しました。これは、検定制度の透明化や恣意的な介入の抑制を求める過去の運動や裁判の結果も影響していましたが、近隣国からは「政府の責任放棄」として批判されました。

この年の教科書問題は、検定後の採択過程でも大きな混乱を引き起こしました。「つくる会」は、採択地区ごとに教育委員会への働きかけを強め、採択を巡る賛成派と反対派の対立が各地で激化しました。特に東京都杉並区では、教育委員会での採択審議が騒動となり、全国的な注目を集めました。しかし、最終的な採択率は極めて低く、全国の中学校での歴史教科書採択において、「つくる会」の教科書が選ばれたのはごく一部にとどまりました。

2001年の教科書問題は、「つくる会」の登場によって歴史認識を巡る国内の保守的な動きが可視化され、それが近隣国との関係に直接的な影響を与えることを改めて示した出来事でした。また、日本政府の対応が「介入」から「不介入」へと変化したことも、その後の教科書問題の構図に影響を与えました。

「つくる会」以降の変遷と現在の課題

2001年の教科書問題の後、「つくる会」は内部対立などから分裂し、一部のメンバーは新たに育鵬社を設立して教科書発行を続けました。育鵬社の教科書も検定に合格し、その後も一部の採択地区で採択されるなど、一定の影響力を持ち続けました。しかし、全体的な採択率は依然として低迷しています。

「つくる会」以降の歴史教科書問題を巡る論点は、徐々に変化してきました。当初は「侵略」や「植民地支配」といった総論的な歴史認識が中心でしたが、次第に「従軍慰安婦」や「南京事件」といった個別の歴史的事実の記述、さらには「竹島(韓国名:独島)」の領有権問題に関する記述へと焦点が移っていきました。特に竹島問題は、日韓両国にとって領土問題というより直接的な国益に関わる問題であるため、教科書での記述はより敏感な問題となっています。

日本政府は、教科書検定における「不介入」の姿勢を基本的に維持していますが、竹島問題などについては、政府の公式見解に基づいた記述を求める傾向が見られます。一方、韓国政府は、日本の教科書における竹島に関する記述に対して強く反発し、修正を要求しています。このように、教科書問題は歴史認識だけでなく、領土問題とも絡み合い、より複雑化しています。

現在の歴史教科書問題は、かつてのような大規模な外交問題に発展することは少なくなりましたが、歴史認識や領土問題を巡る日韓・日中間の溝は依然として存在し、教科書の記述がその溝を再確認させるたびに摩擦が生じる状況が続いています。これは、教科書問題が単なる歴史教育の問題ではなく、各国の「国民史」観の対立という根深い問題を含んでいるためです。

また、日本の歴史教育そのものに対しても、学界や教育現場から反省の声が上がっています。小学校では日本史上の人物、中学校では世界史を背景とした日本史、高校では世界史必修・日本史選択という現在のカリキュラムが、グローバル化が進む現代において適切か、歴史教育が単なる知識の暗記に偏っていないか、といった議論が行われています。これらの課題は、将来的に教科書の内容や構成に影響を与える可能性があります。

日韓の歴史認識の違いを象徴するイメージ

なぜ摩擦は続くのか?根本原因の考察

日本の歴史教科書が近隣国と摩擦を生み続ける根本的な原因は、いくつかの要因が複雑に絡み合っていることにあります。

第一に、歴史認識の根本的な違いです。特に近代以降の歴史、すなわち日本の植民地支配や戦争に関する評価において、日本と近隣国(韓国、中国など)の間には大きな隔たりがあります。近隣国は日本の加害責任や被害の側面を重視し、日本からの誠実な反省や謝罪を求めますが、日本国内には多様な歴史観が存在し、必ずしも近隣国の求める歴史認識と一致しません。教科書は、その国の歴史観を反映するものであるため、この認識の違いが記述内容の対立として現れます。

第二に、「国民史」観の対立です。歴史教科書は、国民国家の形成において、国民に共通の歴史認識やアイデンティティを育む役割を担います。しかし、それぞれの国が自国の視点から歴史を記述する「国民史」は、他国の「国民史」と衝突する可能性があります。特に、過去に支配・被支配の関係にあった国々の間では、互いの「国民史」が相手国にとって受け入れがたい内容を含んでいることが少なくありません。

第三に、国内政治との関連です。歴史教科書問題は、しばしば各国内の政治的な争点となります。日本では、保守派が「自虐史観」を批判し、より肯定的な歴史記述を求める運動を展開する一方、リベラル派は過去の加害責任を明確に記述することの重要性を主張します。近隣国でも、対日感情や国内政治の状況が、教科書問題への反応に影響を与えます。このように、教科書問題は単なる教育問題にとどまらず、各国内のイデオロギー対立や政治的駆け引きの道具として利用される側面があります。

第四に、相互理解と対話の難しさです。歴史認識の違いを乗り越え、相互理解を深めるためには、率直な対話と学術的な共同研究が不可欠です。しかし、感情的な対立や政治的な思惑が先行し、建設的な対話が妨げられることがあります。また、教科書検定や採択といった国内制度が、他国からの直接的な介入を拒む構造になっていることも、問題解決を難しくしています。

これらの要因が複合的に作用することで、日本の歴史教科書は近隣国との間で繰り返し摩擦を生み、問題が長期化する傾向にあります。

今後の展望と求められること

日本の歴史教科書を巡る近隣国との摩擦を完全に解消することは容易ではありません。しかし、問題の根源を理解し、建設的な対応を模索することは可能です。

まず、歴史教育の質の向上が求められます。単なる知識の暗記に終わらず、多様な視点から歴史を学び、批判的に思考する力を育む教育が必要です。また、自国の歴史だけでなく、近隣国や世界の歴史との関連性を理解し、多角的な視点を持つことの重要性を教えるべきです。学界や教育現場からの反省を踏まえ、学習指導要領の改訂などを通じて、より現代社会にふさわしい歴史教育のあり方を追求していく必要があります。

次に、近隣国との対話と交流の促進です。政府間レベルでの歴史共同研究や、民間の研究者・教育者・市民レベルでの交流を通じて、互いの歴史認識に対する理解を深める努力を続けることが重要です。感情的な対立を超え、冷静かつ客観的に歴史に向き合う姿勢が求められます。

また、教科書制度の透明性と公正性の維持も不可欠です。検定基準の明確化や、採択過程における住民意思の適切な反映など、制度が公正に運用されることが、国内外からの信頼を得る上で重要となります。

歴史教科書問題は、過去の清算だけでなく、未来の世代がどのように世界と向き合っていくかに関わる重要な課題です。近隣国との摩擦を乗り越え、真の友好関係を築くためには、歴史から目を背けるのではなく、多様な視点から歴史を学び、互いを理解しようとする継続的な努力が不可欠と言えるでしょう。

日韓中の学生が交流するイメージ
画像引用元: www.pinterest.com

まとめ

日本の歴史教科書が近隣国と摩擦を生む背景には、日本の教科書制度の仕組み、近代以降の歴史認識の根本的な違い、「国民史」観の対立、国内政治との関連、そして相互理解の難しさといった複雑な要因があります。特に「新しい歴史教科書をつくる会」の登場と2001年の教科書問題は、これらの問題を顕在化させ、その後の教科書問題の構図に大きな影響を与えました。

「つくる会」以降、歴史認識論争の論点は変化し、竹島問題なども絡み合うことで問題は複雑化しています。摩擦を乗り越えるためには、歴史教育の質の向上、近隣国との対話と交流の促進、そして教科書制度の透明性と公正性の維持が求められます。

歴史教科書問題は、過去と向き合い、未来を築くための重要なプロセスです。感情的な対立に囚われることなく、冷静な議論と相互理解への努力を続けることが、より良い近隣関係を築くための鍵となるでしょう。